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萬福寺の歴史

時は江戸時代・・・



萬福寺は、1654年(江戸時代)、中国福建省から渡来された隠元禅師(1592〜1673)が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の尊崇を得て、1661年に開創された代表的禅宗伽藍の寺院です。日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ、隠元禅師、木庵禅師、即非禅師など中国の名僧を原点とする黄檗宗の大本山で、中国福建省福州府福清県永福郷にある黄檗山萬福寺がその由来。中国のそれを古黄檗、日本のものを新黄檗と言い区別 されています。


   隠元禅師は、日本からの度重なる招請に応じて、承応3年(1654)、63歳の時に弟子20人他を伴って来朝。当初、長崎の興福寺・崇福寺に入りますが、明暦元年、妙心寺派の摂津の普門寺に住持します。しかし幕府の厳戒態勢の中で普門寺からの外出などは許されず、また、寺内に200人以内という制限がつけられるなど、幕府から経済的な保障は得るものの、軟禁状態でした。隠元禅師は、来日時の3年間で帰国する、という中国黄檗山との約束を果 たすべく、一時帰国も考えますが、明暦4年(1658)、妙心寺住持の龍渓宗潜(りょうけいそうせん)、禿翁妙周(とくおうみょうしゅう)らの尽力により時の将軍家綱に謁見、万治3年(1660)、幕府から後水尾天皇の生母、中和門院の宇治の別 邸の地、約9万坪を与えられ、黄檗山開創となります。


 萬福寺は中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置で、山号寺号は、隠元禅師ゆかりの中国萬福寺にならって「黄檗山萬福寺」と名付けられました。諸堂宇建立は、寛文元年(1661)から本格的にはじめられ、幕府は作事奉行に青木甲斐守重兼、大工秋篠家で萬福寺は建立され、さながら幕府の事業のひとつと言っていいほどの事業となりました。その後、萬福寺は創建の援助をした大老酒井忠勝からの千両など、多くの武士や商人から寄進を受け、また寺領400石が支給されるなど経済的にも安定期を迎えます。寛文6年(1666)には、将軍家綱が白金二万両とチーク材(雲南木)を寄進し、舎利殿など多くの伽藍が造営されました。隠元禅師が隠棲したあとも木庵禅師が住持となり、約17年間の歳月をかけ、法堂など諸堂宇が立ち並ぶ大寺院が京都の宇治に誕生します。
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